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多久の賢人

敬の心を持ち、多久の人材育成、発展に尽くした人

多久 茂文 (たく しげふみ)

寛文9年(1669)〜正徳元年(1711)

 多久四代邑主。若い頃より学問を好み、領内の平和と繁栄には、儒学を興し、人を育てることが肝要であると考え、武士、町民、農民の身分を問わず、志あるものが学べる学問所「東原庠舎」を開校し、次に儒学の祖・孔子を祀る「多久聖廟」建立し、その目的を「文廟記」に記している。領民へ学問を奨励し文教の地・多久を築く。

   
義を説き、未来の日本のための教育に情熱を燃やした人

草場 佩川(くさば はいせん)

※自画像については、現在のところ確認されていません。この画像は、「郷土の偉人伝その2高取伊好」  (多久市教育委員会/平成18年/発行)から抜粋しています。  天明6年(1786)〜慶応3年(1867)

 儒学者。幼い頃から非凡で、8歳で東原庠舎に入門し、18歳の時藩主の命により、佐賀藩校弘道館で国学を学び、後に藩校弘道館教諭・教授となった。明治政府で活躍した大隈重信・副島種臣・大木喬任・江藤新平などの人材を育てた。佩川は学問だけでなく、武芸・詩歌・絵画などにも優れた才能を備えていた。草場船山は長男である

 
礼を説き、自らの行動を持ってその生き方を示した人

鶴田 皓(斗南)(つるた あきら[となん])

天保6年(1835)〜明治21年(1888)

 法学者。戊辰戦争後、大学校教授となりその後刑部少に転じ、明治5年江藤新平司法卿の命を受け、ヨーロッパに法制度調査に差遣され、先進各国の刑典・司法を視察、帰国後は明法権頭、司法大丞、1等法制官、検事を歴任し元老院議官に進み、刑法を起草し冶罪法、陸軍刑法、会社条例、破産法の制定に参与するなど、幅広く立法・法務に携わった。

   
仁の心で、自分だけでなく、全ての人々が幸せになるように行動した人

高取 伊好(たかとり これよし)

嘉永3年(1850)〜昭和2年(1927)

 実業家。鶴田皓とは兄弟で高取家の養子となる。東原庠舎に学び、上京して慶應義塾で鉱山学を学んだ後、工部省所管の工学寮にて採炭学を修め、後に杵島炭鉱など数々の炭鉱経営をし、古希を機に事業界を退隠後、地元や社会事業等に多額の寄付を行う。多久村に図書館、公会堂、西渓公園を寄贈した。

   
智の心を持ち続け、未来の日本のために発明・発見に尽くした人

志田 林三郎(しだ りんざぶろう)

安政2年(1855)〜明治25年(1892)

 我が国の電気学会の創設者。幼年期から頭脳明晰で神童と称され、東原庠舎に学び藩費で東京留学、東京工学寮で電信学を修め、英国グラスゴー大学に留学し最優秀論文賞を受賞するなど首席で卒業した。帰国後、工部大学教授(現在の東京大学工学部)・逓信省工務局次長を務め、我が国第一号の工学博士号を授与される。電気工学の未来技術を的確に予測し、次々に実現している。

   
孝の気持ちを発揮し、科学の発展に尽くした人

飯盛 挺造(いいもり ていぞう)

嘉永4年(1851)〜大正5年(1916)

 外務省語学所に入り、東京外国語学校教員心得、東京大学医科助授を経て、同大学医科助教授に任ぜられる。明治17年(1884)ドイツ・フライブルグ大学に留学、微量天秤を用い、「物質表面に凝縮する水分薄膜並びに水銀薄層の重量」決定に関する研究を遂げた。明治12年「物理学」を著述したが、これは現代の研究者の人たちにとっても、大切な教科書となっている。

   
問い合わせ先
〒846-0002 多久市北多久町大字小侍7番地1(中央公民館2F)
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